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2026.10.12 special

音楽人生の原点 挑戦の日々支えたジャズクラブに別れ

シリーズ

TOKUのMUSIC LIFE

皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

 

前回のコラムを書いていた時期からぐっと秋らしくなりましたね。とても過ごしやすくなって、眠りも深くなり、夏の疲れが取れた方もいるのでは?

でも秋らしさを感じられる期間は、昔に比べたら短くなりましたね。
秋が好きな僕にとってはとてもさびしく感じます。

ですが、秋はいろんなイベントもたくさん行われる季節。9月のイベントから書いていきましょう!

 

毎年の参加が恒例になって久しい福岡・博多の「中洲ジャズ」。今年で18回を迎えたこの無料のイベントですが、2日間とも中止にはならず、無事に盛り上がって終了しました。

去年は突然の落雷で初日の夜は全会場でのライヴが中止になる事態に。。これは悲しかったけど安全第一です。なので今年は再度の出演ということでHimiとのユニットで初日にリバレインというステージで演奏。本当にたくさんの人が集まってくれて、始まってすぐに倒れてしまう方がいらしたほどギュウギュウの会場となりました。演奏を中断して倒れた方の安全を確認してから演奏を再開!小雨だったけど大いに盛り上がりましたーー。

終演直後、オーディエンスと。左からベーシストのSoshi、ドラムのMarty、Himi、飛び入りしてくれたSHIHO、キーボードのDavid

 

2日目の9/13 は久しぶりの旧福岡県公会堂貴賓館でのステージのトリを務めました。石井彰さん、金澤英明さん、田中徳崇くんとのカルテットで新しいアルバムからのナンバーを演奏。最後の「All Blues」では中洲ジャズではお馴染みの親友でありボーカリストのSHIHOと、一緒にH.I.T.というコーラス・グループをやっているボーカリストの伊藤大輔くんが飛び入り、ステージに最高の花を添えてくれました。

終演後は雨が強くなってきましたが、たくさんの人がCDを購入してくれて嬉しかった!

 

その次の日は久しぶりに、先ほど登場したSHIHOと福岡市内のライヴハウス・Borderでライヴ。以前に僕のバンドにいたピアニスト柴田敏孝くんとの3人で、めちゃくちゃ楽しいライヴ。SHIHOとのライヴはいつもワイワイと楽しくなっちゃいます。デュエットもたくさんやるのでいつもとは違う自分が出てくるのも楽しいんですよね。

やはり中洲ジャズに参加していたボーカリストのChihiroちゃんが飛び入りで盛り上げてくれました。そして次の日から一緒にツアーに出る石井彰さんも来てくれてセカンド・セットで飛び入り、さすがのプレイでした。柴田くんとピアノをシェアしながら、なんとも素敵な音を出してくれたのです。

左から僕、SHIHO、石井彰さん、柴田敏孝くん


ちなみに会場の近くに、ホテルからよりも近いコインランドリーを発見、ライヴ前に洗濯機、休憩中に乾燥機に移して終演後に取りに行くという、このツアー初のランドリーを実行(笑)

洗濯物が溜まった時にコインランドリーのないホテルに泊まることになると苦労するのです。

ミュージシャンのツアー事情の一面でした(笑)

 

さて、中洲ジャズで共演した4人での九州ツアーが始まりました。今回は3カ所だけですが、この4人で音を出せるのを本当に楽しみにしてきました。初日9/15 は長崎市の「BodyⅡSoul」です。

2012年にピアニスト秋田慎治くんとのツアーで初めて来たこのお店、その後10年空いてしまいましたが、2022年から毎年来ている小さいですが雰囲気のよい素敵なお店です。

店内奥にアップライトピアノが置いてあり、そこがステージ。ドラムのノリくんはいつも自分のドラムセットを持ち込みます。その彼のこだわりを大事にする姿勢が好きで、やはり彼の出す音はいつも独特で心地よいんです。

この日もたくさんの方が足を運んでくれました。終演後にご飯を食べるとこを探しながら長崎市内を歩くのも好きです。今年もやはりちゃんぽんと皿うどん(笑)。外せませんね。


ホテルに戻ってからみんなとコンビニに行って、うだうだといろんな話をしながら情報交換。これもまた大好きな時間。その後は海が見たくてちょっと1人で散歩に。好きな時間は続きます。

旅に来るとその土地の好きなところを見たくなるからどうしても遅くなるんですよね。。

BodyⅡSoul の入口とコンビニでうだうだ(笑)

 

次の日のライヴは佐賀市。RAG・G というお店はここのところギタリストの小沼ようすけくんと行くことが多いですが、僕のバンドで行くのは初めて。長崎市から近いので、しばらく観光してから移動することに。ベースの金澤さんはとにかく食べることが好きで、先輩ということもあり各地方の美味しい所をよく知っているのです。この日も地元の友人から今どこが美味しいかという情報を仕入れてきて、JAL cityというホテルの中にある中華屋さんに行くことに。またも皿うどんを食べることになりました(笑)。

とても美味しかったなあーー。

中華屋さんランチ。1番左は今回ツアーの運転手をしてくれたRoomsの斉藤くん

 
それから長崎市内をブラブラしてから佐賀に移動。着いてセッティング、サウンドチェックを済ませて、やはり金澤さんの情報で知った美味しい肉まん屋さんをみんな楽しみにしていたら、なんと早めの閉店、、仕方なくコンビニへ。

この日の演奏も最高に楽しかった。同じメンバーとのツアーは日々いろんなことを試すことができるので、日を追うごとにどんどん精度が上がっていきます。ツアーでしか経験できないことですね。

この日の夕ご飯はなんとジンギスカン(笑)。

遅くまで開いているお店はとても限られていて、そうなると焼き肉系は強いのです。

札幌出身、在住の金澤さんが「まさか佐賀でジンギスカン食べるとは思わなかった」(笑)と言いながら「けっこう美味いじゃん」とお肉を次々に口に運んでいました。ほんと食べるの好きな人です(笑)。

 

九州ツアーの千秋楽は熊本市。ラフカディオホールという会場には素晴らしいグランドピアノが置いてあって、ぜひとも石井さんが弾くこのピアノでコンサートをやりたかったんです。

音響さんが最高のアコースティックな音を作ってくれて、本当に気持ちよく演奏できました。

ついこの前10年ぶりに大きな地震があったばかりの熊本。本当は熊本での公演を中止にしようか迷いましたが、ライヴで来てくれた人の心を癒やすことができればと思い、集まってくれる方が少なくてもいいからとにかく行こうと思いました。結果たくさんの方が来てくれて、演奏を楽しんでくれる様子を見て、本当に良かったと思いました。

ラフカディオホール終演後

 

9月26日、この日は一生忘れられない日になりました。僕がずっとお世話になってきた老舗のジャズクラブ「Body & Soul」が閉店してしまったのです。日本のジャズ界にとっても大きな損失です。

1974年8月8日に六本木にオープンして以来、日本のジャズ・シーンを支える重要な場所として、国内外の著名なミュージシャン達がここを訪れ、出演し、数え切れない人たちに生のジャズを届けてきました。


僕がジャズを始めたのは1992年の秋で、そのころにジャズ雑誌でその存在を知り、出演しているミュージシャンの名前を見てすぐにここが重要な場所だと知りました。それから6年後の1998年の1月に初めてこの場所に足を踏み入れることになります。

六本木から始まり、表参道、南青山、そして渋谷と4カ所にわたり営業を続けてきた「Body&Soul 」。僕にとって1番長かったのは南青山の時代です。2021年の9月に南青山での営業を終了、その場所での公式な最後のライヴに出演し、そして今回も最後のライヴを務めました。

思い出深いBody&Soul

話は遡って1997年の12月、ニューヨークから帰ってきたばかりのサックスプレイヤー・石崎忍くんと、僕がベーシストの塩田さんという人とオーガナイズしていたジャム・セッションで出会います。彼のプレイは当時の僕にとっては衝撃でした。独特の身体の動き、でも全くブレない楽器の位置、フレージング、今でもあの衝撃を覚えています。

同い年ということもありすぐに打ち解けたのですが、年が明けた1998年の1月に彼は恐ろしい提案をします。Body&Soul に一緒に行こうというのです。「大丈夫だよ、ベースは塩田さんだし、ピアノは剛さんだし飛び入りさせてくれると思うよーー」、いや、飛び入り!そんな恐れ多すぎます!剛さんとは、あのベテランの山本剛さんです。もちろん会ったことなどありません。ですが行くことになったのです、というか僕は忍くんに付いて行くような気分でした。

その日、お腹が下って3回もトイレに行った僕が(笑)待ち合わせ場所で忍くんと合流すると、彼は僕を見て「服はそれしかないの??ママ大丈夫かなあ」とか言い出すのです!ファッションになどかけらも興味がなかった僕は年中同じような服を着ていたので替えなどなかったのです。

「えーー!!これしかないよ!」と言うと彼は、「嘘だよーん!」と、僕にとっては笑えない軽いジョークだったことを告白。あれには参りました。。ちょっと忍くんを恨んだ瞬間です(笑)。

 

で、お店まで歩き始め着いた時には心臓バクバクな状態で、ドアを開ける忍くんに続いて店の中に入ります。忍くんが紹介してくれたような記憶がありますが、オーナーの京子ママに一蹴される感じでご挨拶、そして剛さんと塩田さん、その夜のドラムの方(たぶん大隅寿男さん)にご挨拶し、もう何を言ったか緊張していて覚えていませんが、きっと「じゃあ途中で呼ぶねー」的なことを言われたと思われ、ライヴが始まって楽屋で聞いているとステージに呼ばれ、、という流れで忍くんと一緒に飛び入りしてフリューゲルとボーカル両方で「こういうヤツです、皆さまお耳を汚しますがよろしくお願いします」なんていう気持ちでビクビクのまま演奏したんだと思います。

終演後、今でも忘れられない瞬間が訪れます。

カウンター越しに京子ママに呼ばれ、

「あんた、3月23日は空いてるの?」

と聞かれます。僕はわけがわからず

「はい?、、え?、、」

とまごついていると、もう一度

「3月23日は空いてるのかって聞いてるのよ」と言われ、この人は何を言ってるんだろう?そんな先のこと、空いてるも何も、何をしてるかもわからないのに、と思いながらも

「はい」

と答えると、

「ここ入んなさい」と言うのです。

僕はまたわけがわからず

「は?」

と言うのが精一杯の緊張状態。

「ここ入んなさい!」

とまたも同じことを言われ、まだ意味を理解してない僕。その様子を察知したママは、

「仕事よ仕事!」

と半分怒ってるような口調。

そこでようやく僕はお仕事をいただいたのだと理解し、

「は!ありがとうございます!」

と精一杯の返事。

これが僕とBody&Soul の付き合いの始まりです。

 

それから月に一度の公式な出演をしていくことになります。

基本的に山本剛さんのトリオにゲストという形での出演で、ベーシスト、ドラマーは毎回違う人。でも剛さんのトリオで、しかもBody&Soul ですからやって来る方はベテランの強者ばかり。毎回が緊張の連続。なかなか覚えてもらえず、ステージで本番中に注意されながら、でも毎回いろんなことを吸収していきました。

自分が出演していない日でも、しょっちゅうお店に行ってはベテラン勢の演奏を聞かせてもらいました。とにかく早く成長したかったんです。

 

出演し始めてわずか4カ月目にスカウトされることになります。初の公式な出演日に、すでにお店にいたと思うのですが、Rob Crockerという当時インターFMで毎週日曜日の夜に3時間の生のジャズ番組をやってた黒人のおっちゃんがいました。曲間になるといつも「トニー・ベネットですか!?」とか、「チェット・ベイカー好きですか!?」などの文言をバーカウンターの向こうから飛ばしてくるんです。

なんだか物好きな人がいるなあと思っていたら、夏ごろにBody&Soul での終演後に

「今度どこかで会って話せないか?」というので

とある平日の夕刻に代官山で待ち合わせてカフェに入ります。そこで彼が口にしたのは、

「ヴァーヴがSONY ミュージックにお前を持って行きたいんだ」と言うんです。「え!?何言ってんだこの人は!」というのがストレートな心の反応でした。

ヴァーヴといえば由緒あるアメリカの老舗のジャズ・レーベルです。レコード会社はユニバーサル。Sonyはもちろんメジャーなレコード会社。

とにかく僕なんかが行かれるようなところではないと謙遜など全くなく思っていました。
無理もありません、Body&Soul というメジャーなジャズクラブに出演し始めたことだって信じられないくらいでしたから。

とにかく僕は、

「これは危険だ!これがよく聞く悪徳プロデューサーだな、近づいちゃダメだ」と、Robを避けるようになります。
でも逃げることは出来ません、公式に出演する日は誰にでもわかりますからね。

ところが、次の月にRobは自分の仲良い友達で元SONYのTakaだ、と言ってTakaさんという人をBody&Soul に連れて来ました。僕の演奏をいたく気に入ったTakaさんは次の月にSonyの大物プロデューサー・伊藤八十八さんを連れてきます。マリーンやT-Square というフュージョンバンドを育て、また海外の著名なミュージシャンのプロデュースを行った方です。

初対面の時の八十八さんは、

「君いいねえーー」とニッコリ笑ってくれたのですが、僕にとっては怖い業界人という認識しかありませんでした。

さらに次の月にはSonyのJazzセクション担当の渡辺康蔵さんという方が八十八さんと一緒にいらっしゃいました。
八十八さんが終演後に

「おい、彼を頼むよ」

と康蔵さんに言うと、まさに鶴の一声とはこのこと

「わかりました」

との返答。
もう一体何が起こっているのかわかりません。僕の理解の範疇を超えていました。

それから実際にSONY Musicに足を運ぶようになり、1年間の育成期間をおいて1999年の夏、ニューヨークにデビューアルバムのレコーディングに行くことになるのです。

というわけで、僕のBody&Soul でのスカウト話でした。

 

デビューは2000年の1月21日、父親の誕生日というこれまたなんともすごいタイミングでした。

その日のBody&Soul でのライヴは満席、媒体の方や他のレコード会社の方、本当にたくさんの方が来てくれました。

それからは基本的に月1回リーダーとして出演し最後の日に至ります。その間に本当にいろんなミュージシャンの演奏を聞き、出会い、飛び入りで演奏し、海外から訪れるミュージシャンと出会い、僕が連れて行った時も数多あります。

とにかくたくさんの思い出があり過ぎる場所。

それはいずれいろんなエピソードをここに書いていこうと思います。

 

そんなわけで最後の公式なライヴの日は、

石崎町くんと山本剛さんのトリオとの共演を決めたのです。

心の持っていき所がないままでしたが、

演奏はいつものように楽しく、そしていつもより切ない気持ちでした。
これを書いている今でもまだ実感がありません。

9/26 最後の公式なライヴ終演後。左から僕、山本剛さん、京子ママ、大隅寿男さん、香川裕史さん、石崎忍くん

 
この日の2日前に、ニューヨークからやってきたBody&Soul にゆかりの深いミュージシャンがいました。
ドラマーのトミー・キャンベルです。

彼は1999年から13年間東京に住み、Body&Soul をホームグラウンドとして活動していました。僕の親友でもあります。僕は彼と出会ったことでたくさんのアメリカのミュージシャンたちと出会いました。音楽大学の学生の時からジャズのレジェンド級のミュージシャン達と共演し始めたトミーは、ニューヨークから日本にやって来るミュージシャンとはほとんど知り合いでした。

リーダーとしてもバンドを結成し、僕は一時期、彼のバンドのメンバーとしても活動し、音楽的にもたくさんのことを学びました。彼のやりたいことを誰よりも理解していた京子ママへの恩を忘れていないトミーは、今回の閉店のタイミングでママに会いに東京にやって来たのです。

僕は彼とはニューヨークのライヴで共演した2019年以来で、実に7年ぶりの再会でした。

短い滞在でしたが、トミーと京子ママの再会のシーンは涙が出る思いでした。

トミーと京子ママの12年ぶりの再会

 

人種も年齢も越えて人と人を繋ぐ音楽、そして世界中にあるジャズ。世界に無数にあるエピソードのひとつかもしれませんが、僕にとってはこのお店はとてつもなく大きな存在です。これからもずっと心に残り続けるBody&Soul での数々の経験。それが今の僕をつくり、そしてこれからも前を向いて活動していくパワーを与えてくれたことは言うまでもありません。

 

京子ママ、ありがとう。

関わった全てのスタッフにも感謝。

Body&Soul は永遠です。

 

また次回のコラムでお会いしましょう。

 

Peace,

TOKU