車両越しに笑顔で交流 列車が結ぶ人の縁
福島県境を前に、六十里越へと続く山あいにたたずむ魚沼市大白川集落。秘境列車として知られるJR只見線が通り、新潟県側最後の駅、大白川駅には、ホーム脇を流れる破間川のせせらぎと鳥の声が響く。
大白川で生まれ育ち、魚沼地域の魅力を伝えようと精力的に活動しているのが、住民団体「だんだんど~も只見線沿線元気会議」メンバーで魚沼八菜合同会社代表社員の佐藤英里さん(70)だ。
午前10時前。会津方面からやってきた只見線がホームに滑り込むと、佐藤さんが乗客に笑顔で大きく手を振る。乗客も慣れた様子で手を振り返し、朝の駅に和やかなムードが漂う。
只見線に手を振る運動は、「だんだんど~も只見線沿線元気会議」現会長の青木進さんの呼びかけを発端に始まり、2015年には魚沼市と福島5町村で「只見線にみんなで手をふろう条例」が制定されるまでに。「『たらこ』と呼ばれる朱色の車両は人気で、至る所にカメラマンがいるほど。手を振り合うと楽しい気持ちになりますよね」と佐藤さんはにこやかに話す。
只見線は小出‐会津若松(福島)間を結ぶ約135㌔。1971年8月29日に、福島県内を走っていた会津線と統合し、開業した。2011年に新潟・福島豪雨で被災し不通となったが、22年に全線で運転を再開した。
かつては蒸気機関車で通学するなど、常に生活に只見線があったという佐藤さん。「小学生のときは、転勤する先生を乗せて只見線がごとごと動いていくのを、みんなで手を振って泣きながら追いかけたりね。『二十四の瞳』みたいでしょ」
現在も、只見線仲間と毎月定期的に乗車し県境を越えて交流を楽しむ。「只見線の誕生日の8月29日は毎年乗っている。只見で福島の人たちも合流して食事をしたり。年齢も職業も違うけど、楽しいですね」と佐藤さんは笑顔で話す。
SNSでは「#通りすがりの只見線」のハッシュタグを添えて、只見線が走る魚沼の風景を発信し、交流を楽しむ。
山の恵みと人の営み ここに息づく唯一の暮らし
魚沼市出身の佐藤さんは都内の大学を卒業後、帰郷し魚沼市内で就職。定年退職後に合同会社を設立し、「山奥キッチン」として山菜や夏野菜、新米といった魚沼の四季の味を全国に販売する事業を手がけた。
現在は山に自生するカエデの木からつくるメープルシロップの製造・販売を手がけるほか、大白川地域の民宿を手伝ったり、尾瀬国立公園のネイチャーガイドをしたり。魚沼史跡研究会の会員として地域の歴史や文化財を学び、魚沼市に多くの作品を残した幕末の彫刻家石川雲蝶のガイドを務めるなど、魚沼の魅力を広く伝えようと精力的に活動する。
「山奥もすてきだよって伝えたい。おいしいものもあるし、ここにしかないきれいな景色もある。雪は5㍍以上積もるけど、道路が封鎖されるわけじゃないから遊びに行くこともできる。電波が悪い場所があったりもするけど、それでも山奥は快適だよ」と屈託なく笑った。
佐藤英里さん
【プロフィール】
さとう・えり 魚沼市出身。2018年、地域住民とともに魚沼八菜合同会社を設立。尾瀬国立公園や石川雲蝶、旧機那サフラン酒製造本舗(長岡市)などのガイドなど幅広く活動し、地域の魅力を多くの観光客に伝えている。