皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
わたくしTOKUの assh コラム、なんと今回で
12回目というわけで1年になります!
毎回のコラムを書くたびに自分の音楽生活だけではなく、置かれている状況や世界的な情勢について思うことなどを自然と盛り込むようになりました。自分の中で感じることをコラムいう形でアウトプットすることは今までなかったのでとてもいい経験になっています。そしてこのコラムを10年後や20年後に読み返した時に、書いた当時の出来事やそれについて自分が感じていたことを改めて知ることは、自身の人間としての変化を感じ取ることができると思っていて、それがまた先の人生に影響を与えたりすることもあるのではないかと今から楽しみです。
何より、これからも一緒に僕のコラムを共に楽しんでくれる方がいてくれたらそれに越したことはありません。そして今まで読んできてくれた方々に感謝いたします!
さて、僕は今パリで今回のコラムを書いています。先月2月の後半からいるのですが、3月に入ってより春らしくなってきました。東京よりも気温が少し高い時もあるくらい、昼間のパリはあったかいんです。なのでここのところは毎日夕方近くになると外に練習に出かけます。セーヌ川のほとりに所々ベンチが置いてある長い道が
愛犬と散歩をする人、ジョギングする人、友人と話しながら撮影を楽しむ人、それぞれにこの道に来て平和な夕刻の時間を楽しんでいます。川に向かって吹いていると目の前をいろんな船が行き交います。それを見ながら吹いているのも楽しいんです。たまに散歩してる人が話しかけてきたりします。この前は観光で来てるらしい親子がスペイン語らしい言葉で「息子の誕生日なんだ!ハッピーバースデーを吹いてやってくれよ!ほら、あれだよ、(と言って歌い出す) 」 それで僕も何を言おうとしてるのか分かってハッピーバースデーを吹いてあげたら「うおー!息子よ、おめでとう!そしてキミ、ありがとう!」と言って嬉しそうに去っていきました(笑)
世界情勢がますます穏やかではなくなってますね。またも新たな戦争が始まってしまいました。なぜこうも人間は勝手で愚かなのか、、
大義名分はあるものの、それは往々にして勝手な言い分だとも捉えられます。歴史はずっと繰り返されています。また最近は学校で習う歴史は実は捻じ曲げられたものだと気付く人も増えてきていますね。世界を変えるような、政治をも動かすことができるようなとてつもなく大きなパワーを持つ人たちが実在する現実は、ネットの普及も手伝ってだんだんと人の目に見えるところに出てきています。それに気付くか気付かないか、これは後々の人生に大きく影響することになるでしょう。気付いている人はもうずっと前に、生き残るための道を築き始めています。
そんなことがあからさまになってきた世の中ですが、こうして音楽をやっていられることに感謝しながら日々を生きています。もういつ何があってもおかしくない今の世界、やりたいことをやっておかないと、いずれやりたくても出来ない時が来る可能性は十分に考えられます。
人生一度きり、後悔したくはないという思いが
でもまだまだやりたいことの3割も出来ていないような気もするんです。わがままですかねえ。。
さて、前回のコラムで予告していた新しいアルバムのレコーディングです!
オリジナル・フルアルバムとしては2020年リリースの「TOKU in Paris」以来6年ぶりとなります。
そして今年はジャズ界にとって大変な年なのです。
なんと!マイルス・デイビスとジョン・コルトレーンというジャズ界の2大巨匠の生誕100周年という年なのです!
マイルス・デイビスといえば「ジャズの帝王」と言われたトランペッター、ジョン・コルトレーンはテナー・サックス・プレイヤー、2人とも多大な影響を与えたジャズメンです。
ちなみにマイルス・デイビスは僕がジャズを始めるきっかけになったアーティスト。そのストーリーについては第1回のコラムで書いているのでぜひ読んでみてください!
とにかく2人とも自己のスタイルを確立した偉大なプレイヤー。それだけでもすごいことです。
これは音楽に限ったことではありませんが、その世界で唯一無二のものを持つということは、その人しかいないということ。いかに強いことか!
とにかく、同じジャズ・ミュージシャンとして何かしらトリビュートできるのは生誕100周年の今年だけ。そしてこの2026年にレコーディングの機会に恵まれたのは本当にありがたいことです。
去年からレーベルのプロデューサーとどんな内容にするかという話を始めました。そして前回のコラムで登場したピアニストの石井彰さんとの共演というアイデアが出たことは僕にとっても幸運でした。石井さんといえばこの方もまたすごいミュージシャンです。長きに渡り日本ジャズ界のレジェンド・日野皓正さんのバンドに在籍し、脱退後も独自の活動を続けている方です。
常に深いところに連れて行ってくれる音楽性の持ち主で、1月の久しぶりの共演で改めてこの方とレコーディングに臨めることを心から喜びました。
次に登場するのはベーシストの金沢英明さんです。今や日本ジャズ界の重鎮的存在で、やはり長きに渡り日野皓正さんのバンドに在籍した方。この方もまた独自の活動を続けていて、そのひとつとして石井さんと「譚歌」というデュオを組み、アルバムを数枚発表しています。実は石井さんと金沢さんは、僕の2004年にリリースされた「30」というアルバムに数曲参加してくれています。
お次は石若駿くんというドラマーです。僕は彼が小学生の時に彼の地元の札幌で出会いました。その時は日野皓正バンドのゲストとして札幌に行き、公演前日に地元の若い世代のためにクリニックを開いていて、そこに参加していた石若くんと出会ったというわけです。そしてそこには石井さん、金沢さんもいました。石若くんの才能を見抜いた金沢さんは程なくして石井さんに声をかけ、トリオ「Boys」を結成。石若くんが学校のお休みの時に限り活動を始めます。
僕は高校で東京に出てきた石若くんと頻繁に共演し始め、2015年のフランク・シナトラの生誕100周年にリリースした「Dear, Mr.Sinatra」、そして次のアルバム「SHAKE」のレコーディングに参加してもらいます。その後彼はその素晴らしい才能と共にどんどんと知名度が広まり、今や日本で1番忙しいドラマーとしていろんな方面で活躍しています。
実は僕はかねてよりこの「Boys trio」とアルバムを作りたいと思っていたんです。そのタイミングが来たと感じていました。ところが、みんなのスケジュール、とくに石若くんのスケジュールが合うのか、僕の帰国中のタイミングでレコーディングできるのか大きな心配事でしたが、なんと2月の中旬にみんなのタイミングが合う日が数日あったのです!
これはやるしかない、今こそその時が来たんだと思わずにいられませんでした。
もうひとつ重要な要素、エンジニアです。この貴重な共演をいい音で残してくれる人、僕の「SHAKE」をレコーディングしてくれたニラジという、これまた忙しいエンジニアとのスケジュールも合ったのです!もう運命ですね。
去年内にスケジュールがはっきりした後、お正月に実家に帰った僕は毎夜ピアノに向かいレコーディングに向けた作曲活動に入りました。同時に取り上げるカバー曲の熟考にも時間を割きました。
今回のアルバムで、他にもトリビュートしたい人がいたのです。それは、2018年に他界してしまった友人でもあったトランペッターのロイ・ハーグローブ、そして僕の音楽的な相棒だった
2人とも同じ時代を生きた、僕にとってかけがえのない存在。それはこれからもずっと変わりません。それにしても、音楽的に近い仲間を失うということはとてつもない悲しみです。でも1番辛いのは当の本人達でしょう。もっとこの世で音楽をやりたかったはず。彼らのためにも僕はやり続けなければ。彼らは居なくなってしまってからも僕にパワーを送ってくれます。
レコーディング初日、石若くんのスケジュールが夜から空くということでゆっくりめの昼間に石井さん、金沢さんとスタジオに集合し、3人でのレコーディング予定曲を演奏し始め、良いテイクが録れたころに石若くんが思ったより早く到着、そこから3曲をレコーディング。
さすがこの3人が揃うともう出てくるサウンドは極上、僕も終始リラックスしながらこの共演を楽しみました。幸せな時間です。
2日目にはゲスト陣が入れ替わり立ち替わりスタジオに登場し、予定通りの曲数を素晴らしい演奏とともに早いペースで仕上げていきました。
まずは石若くんを通じて知り合ったトロンボーン・プレイヤーのJames Macaulay。彼はオーストラリアの出身で、日本に移住して数年になります。彼にはよくライヴに誘ってもらい、コロナ禍の都内で共演しました。僕は普段はサイドメンとしての演奏はやらないのですが、彼は特別です。その彼による曲を演奏することですごい刺激をもらいます。そういう相手とは積極的に共演します。
もう1人のホーンプレイヤーとして、テナーサックスの吉本章紘くんを迎えました。彼もまた日本を代表するくらいの素晴らしいプレイヤーです。
そして、ボーカリストのChloe Kibble。彼女とはコロナ禍前に彼女が移住してわりとすぐのころに出会いました。それから程なくしてまだアルバイトをしていた彼女の歌声を聞いた時に、元々持っているものが素晴らしいことに気付きました。聞いてみればお父さんは世界的に活躍しているア・カペラグループのリーダーだと!
こりゃ納得です。それからいろんなところで共演しました。今ではたくさんのアーティストのサポートに大忙しの彼女。今回のレコーディングが久しぶりの共演で、彼女の参加をとても楽しみにしていました。
これを書いている時点でまだ制作の途中ではありますが、音に関してはほぼ完成しています。
とにかくまた最高のアルバムが出来ました!
関わってくれた全ての人に感謝します。
今年の5月にリリースされる予定です。
しばらくはCDのみの販売になると思いますが、
その音質の良さを今一度感じてほしい願いも込めています。
どうぞお楽しみに!
もうひとつ、先月に少し書いた話題です。
1月の末日に、ここでのライヴを実現させてくれたギタリストの小沼ようすけくんと人生初の屋久島に足を踏み入れました。
鹿児島市内から高速船で2時間ほどで屋久島に着きます。
船外に出て、僕の鼻が島の空気に触れた時の感覚は、以前に感じたことのないものでした。その時点ですでにこの島の特別な何かを感じていたのだと思います。とにかく不思議な感覚でした。
そしてなんといっても時間の流れが違う!なんだかすごく昔に来たみたいな感覚なんです。どれくらい昔かはわかりませんがとにかく現代ではないところに迷い込んだような。。
港でようすけくんの友人が用意してくれていたクルマに乗り込み、まずは僕の宿へと向かいます。その道中のなんとも言えない景色、、昔のまま、手付かずの街、時が止まったような風景がずっと続きます。島にメインの大通りはひとつだけ、そこをずっとひた走ります。信号もほとんどなく、ゆったりと海と山を見ながらの移動。身体の力がだんだんと抜けてリラックスしていきます。
宿に荷物を置き、また別のようすけくんの友人とともに早速温泉へ。尾之間温泉という熱めのお湯がたまらないところでした。地元の住民たちが次々とやって来ていて、皆さんの入り方を真似ながら失礼のないように入浴。いやあ、熱いのを我慢して入るんでがこれが病みつきになるほどに気持ちよくて、上がってからその日はずっと深夜まで身体はポカポカ!
そのあとはその友人さん宅でお友達が食べ物を持ち寄って集まり、なんともあったかいおもてなしをいただきました。口にする手料理は全て美味しくて、地元で取れた野菜や果物がたくさん、お腹いっぱいになった身体が喜んでいるのがわかりました。
よく聞くと、集まったほとんどの方は本土から移住してきた人たちで、出身も様々です。皆さんやはり島に来てすぐにその魅力にやられてしまい移住してくるのだそう。気持ちわかるなあ。。
ぐっすりと寝た翌日、起きてまた尾之間温泉に行ってしまいました(笑)
この日はライヴ、会場は新しくオープンしたレストランということで昼間に到着してサウンドチェックを済ませると、
戻ってくるとすでにお客様が少しずつ到着していました。ライヴはいつものように自由な雰囲気の中で終始リラックスして進みましたが、自然のパワーが強いからか、いつもと少し違う、よりポジティブなエネルギーがそこにはあった気がします。お客様も普段娯楽が少ないのもあってか
ライヴ中、びっくりすることが起こりました。
トークの時に尾之間温泉の話をしたのですが、
これには驚きました。聞けば僕がデビューしたころにテレビでよく見ていてくれてずっと応援してくれていたとのこと!これは嬉しかったです。しかもですよ、サイン色紙にサインをしてほしい、受付に飾るからという申し出を受けて恐縮ながらサインをさせていただきました。
次の日3日目は、せっかく屋久島に来たのだからということで観光の日に。ようすけくんのギターを作った西垣くんとともにガイドさんに連れられて屋久杉や滝、そして温泉を巡りました。少し山の上の方に行くだけで気温は一気に下がります。すごく寒くて身体がおかしくなりそうになるんですが、どこも素晴らしくて寒さもだんだん忘れてきます。空気が美味しくて幸せな気持ちになり、野生のお猿さんに出会ってさらに心はあったまり、温泉でちゃんとあったまり、居酒屋さんで美味しいご飯を食べて宿に戻りました。
宿の部屋から直接外に出られるようになっていて、その夜は雨が降りながらも時折満月が見え、そして星もたくさん見え、もう眠るのがもったいなくて、、心を鬼にして眠りにつきました。
次の日、鹿児島市内に戻る前にもう一度今回最後に尾之間温泉へ!ちゃんと受付に僕とようすけくんのサインが飾ってありました。ポカポカの状態で港に向かい、クルマを戻しました。
そしたら、駐車場に初日に集まった皆さんがお土産を持って集まってくれていました!
なんてあったかい人たち。。 たくさんお土産をいただき船に乗ります。出港して間もなく、船の窓からみんなを探してみると岸から手を振ってくれている!僕もみんなが見えなくなるまで手を振っていました。。
屋久島というところで感じたのは、なんといっても島に生きる人たちの生き方の中に変わらない日本の心でした。
今は良くも悪くもいろんなことがものすごい速さで変わっていっていますね。日本が日本ではなくなっていってしまっている、それを強く感じざるを得ないことが次々に起こっています。
そんな中、この島にはきっとこれからもずっと変わらないであろう日本人としての在り方がしっかりと残っているんです。
この島に移住してくる人たちは、きっと無意識のうちにそれを求めてくるのかなあと、島を後にしてからも思うのです。
またきっと屋久島に足を運ぶ日がくると確信し、素晴らしい経験ができたことに感謝します。
さて今回のパリ滞在中にライヴがいくつかあるのですごく楽しみです。
次回はそのパリでの様子を書きますね。
それではまた!
Stay safe !
TOKU














