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2025.04.14 special

ジャンル問わず音楽に熱中 折々に出会うマイルスに導かれ 

シリーズ

TOKUのMUSIC LIFE

ヴォーカリストでフリューゲルホーンプレーヤーのTOKUさん(新潟県三条市出身)のコラムが始まります! ジャズの枠を超え、国内外で活躍するTOKUさんによる音楽紀行を、ぜひご一緒に。


こんにちは、TOKUです。
初めましての方も、ずっとサポートしてくださっている方も、いかがお過ごしでしょうか?

今月から僕の連載が始まります。
地元・新潟のメディアでのコラム連載ということで本当に嬉しく思います。このコラムを通じて、皆さんを世界音楽紀行に連れて行くことが出来ることにワクワクしています。 
どうぞよろしくお願いします。

さて、まずは改めて自己紹介をしながら僕のこれまでの音楽人生をお話ししますね。
1973年に音楽好きの両親のもとに産まれた僕は、ほとんど覚えていないくらい短い間でしたが幼少期にピアノ講師をしていた母の友人にピアノを習っていたという経験があります。
週末になると、父親のブルーグラス・バンドがうちに集まり夜通しセッションをするという環境があり、そこに出されるお菓子目当てで楽しそうに演奏する皆さんを眺め、聴いていました。
小学3年生のころに区画整理のため引越しをしたのですが、それを機に父親が当時の地元では初めての練習スタジオを作りました。当時の日本はバンド・ブームの真っ只中で、毎日たくさんの人がスタジオを訪れていました。

その頃の僕は音楽を聴くのは大好きでしたが夢中になっていたのはサッカーでした。ですが、中学校に上がるとサッカー部がない!というわけで、音楽好きな僕は吹奏楽部を見学に行き、やりたいと思ったのがコルネットという、トランペットに近い楽器でした。 
なぜその楽器だったのか、それはやはり小学生の時に生で聞いたマイルス・デイビスでしょう。マイルスといえば「ジャズの帝王」と言われた圧倒的な存在感を誇るトランペッターです。
そのマイルスが新潟に来たのです。大ファンの父親は家族を連れて行ってくれましたが、僕が覚えているのはうるさかったことと父親が興奮していたことだけ(笑)。ですが、それが中学生になって始めた楽器の選択に関係しているんだと思います。そして、その後の人生を大きく変えることになるとは夢にも思っていませんでした。

高校生になり、そんなに熱心にやってなかったコルネットには手をつけなくなります。代わりに麻雀にハマり、そこで知り合ったバンドをやっているという同級生からエレキベースを購入し弾き始めました。うちのスタジオでドラムの練習もし始め、2つのバンドを掛け持ちして文化祭で演奏したり、学校外でもバンドを組みドラムに明け暮れていました。
浪人生になってからギターを始めてフォークにどっぷり浸かり、大学生になってからは軽音部に所属してドラム、ベース、ギター、歌、と好きに活動していたある日、バイト先の小さなCD屋さんで購入したマイルスのCDが僕の人生を変えます。

うちに帰ってCDを再生すると、僕の知ってるマイルスの音楽ではない音が聞こえてきました。マイルスが若い頃の演奏、ストレートなジャズです。その中の1曲を気に入った僕は中学生の時に吹いていたコルネットをひっぱり出し、聞いたのと同じに吹いてみようと思ったのです。
それを聞いた、大学のビッグバンド(基本16人編成のジャズバンド) を手伝いに来ていたドラマーの方が、僕を彼の演奏していたお店に連れて行き、そこで僕は飛び入りという形で耳で聞いた通りにマイルスのフレーズを吹きます。
ところが、、、、
曲が終わり、ピアノを弾いていた方がこう言うのです。
「マイルスと同じに吹くんだね」
僕は思わず、
「え、どういうことですか??」と聞くと、その方が
「だってアドリブじゃん。」
「え、即興ってことですか???」
「そうだよ、知らなかったの??」
「え、即興ですか!!??」
「そうだよ!」
「ええええーーーーー!!!!!」
というような会話だったはずですが、とにかく稲妻に打たれたような感じでした。

「そんなおもしろい音楽がこの世にあったんだ!
これこそ自分がやりたいことだ!!!」と感じたのをはっきり覚えています。

そんなわけで、今の僕があります。
歌うことは好きだったので、徐々に自分のライヴで歌うようになり、今の僕のスタイルが形成されていきました。
とにかく仲間が欲しくて他大学のジャズのサークルに所属し、ジャム・セッションに行くようになり、そこで出会った仲間と路上でライヴを始め、大学を出てからは昼はバイト、夜は路上という生活を送っていました。
そんなフリーター時代に知り合った仲間にそそのかされ、日本でも有数のジャズ・クラブ、当時は南青山にあった「Body&Soul」を訪れることになります。そこで飛び入りし、月1で出演するチャンスをオーナーから公式にいただいた僕は、そこで声をかけてきたラジオDJにスカウトされ、メジャー・デビューの機会に恵まれます。


それからはもう毎日が演奏の、バラ色の日々でした。さらにどっぷりと音楽に浸かり、がむしゃらに自分の音楽をやってきました。ノンジャンルで育った僕にとって他のジャンルのアーティストとの出会いも刺激的なことで、積極的にコラボを重ねてきました。いろんなレコーディングにも積極的に参加してきました。とにかく常に吸収していたくて、たくさんの友人のライヴに飛び入りさせてもらってもきました。

海外での作品作りや公演もたくさんやってきました。ジャズにハマった次の年、大学2年生の時に英語を勉強しにアメリカに1年間滞在したことは、海外のミュージシャン達とのコミュニケーションに大いに役立っています。当時のアメリカ人のルームメイトはジャズ・ピアニストでもあって、彼のバンドに在籍した経験も大きいです。

まだまだやりたい事はたくさんありますが、とりあえずはひと通りやったかなと実感したのは2017年のコラボ・アルバム「SHAKE」を作った時で、参加してくれたミュージシャン(SUGIZO、Zeebra、大黒摩季など)ほぼ全員とともにリリース記念公演を行い、それから僕の心はなんとなく海外に向いていきます。


ちょうどその頃にパリの友人から声がかかり、彼のプロジェクトに参加することで10年ぶりにヨーロッパでの公演を楽しみ、年に2回ヨーロッパをツアーするようになりました。



それもあり、生きているうちにもう一度自分の身を海外に置きたい、後悔はしたくない、と思うようになった矢先にパンデミックがやってきます。フランスで公式に僕のアルバムがリリースされ、リリース記念ツアーを終えた直後でした。
3年半ぶりにようやくヨーロッパで公演を終えた僕は50歳になっており、この時に心は決まったと思います。ヨーロッパから戻った僕は本格的にヨーロッパに移住する準備を始めました。

そして2024年の1月、50歳からのパリ生活が始まったのです。

というわけで、ざっとですが僕の人生を紹介しました。
来月からまたいろんな音楽話について書いていきますので、皆さんどうぞお楽しみに!

TOKU


【プロフィール】
TOKU
新潟県三条市出身。日本唯一のヴォーカリスト&フリューゲルホーンプレーヤー。2000年のデビュー以来、国内外のアーティストと共演するなどジャズの枠を超えて活躍を続ける。近年は欧米やアジア各国でもライブやイベントに出演している。