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2025.01.05 special

「日本料理 鶴来家」青木資甫子さん/いつでも「粋」でいるために 苦難乗り越え前へ

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上越

家業継ぐためUターン その年の暮れに大火発生

糸魚川市の中心部、糸魚川駅北地区。かつて加賀街道の宿場町として栄えた海沿いの地に、モダンな印象の店舗が立つ。門をくぐると、日本料理 鶴来家(つるぎや)・若女将の青木資甫子(しほこ)さん(39)が明るい笑顔で出迎えてくれた。開放的な雰囲気の店内は、外観から一転、和の趣が薫る。

鶴来家は、創業220年を数える日本料理店。大正期に建てられたかつての店舗は、2016年12月に発生した糸魚川大火で類焼した。火は強風により燃え続け、約4ヘクタールを焼失する被害が出た。

5代目当主の長女として生まれた青木さんは当時、店を継ごうと都内の電機メーカーを辞め、Uターンしたばかりだった。


店を継ぐと決めたのは、都内の歴史的建造物を訪れ、故郷にあるものの価値に気付かされたことがきっかけ。「『目黒雅叙園』の意匠を見て、これは鶴来家にもあると気付いて。黒柿の柱や屋久杉を一面に使った扉など、本当にこだわって造られていたんだな、とあらためて実感した」と話す。

それだけに、焼失はつらいものだったが、すぐに前を向く父、孝夫さんの姿に奮い立った。「父は『自分の代で看板を下ろすことはしない』と決めていたみたい。火災直後に、すでに今後の算段を立てていた」。


自宅に仮の厨房を造り、年明けに控えていたえちごトキめき鉄道(上越市)のリゾート列車「雪月花」の弁当提供に間に合わせた。「落ち込んでいる暇はなかった。悲しんだり振り返ったりはいつでもできるから、今はもう前を向いて進むしかない、と」。

青木さんも、大火の数日後にはリュックサックを背負って都内の道具街へ。調理器具もすべて失ったため、あらゆるつてを頼った。「必死だった。恥ずかしいとか言っていられない。いろんな人に支えてもらったおかげでここまで来られたと思う」と振り返り、わずかに目を潤ませる。

2年で新店舗再建 時代に合わせコンパクトに

新店舗は、大火から約2年後の2019年にオープン。かつては200人が入る大広間を構えていたというが、新たな店は時代に合わせて半分以下の規模に。宿場町の風情を残していた路地も、土地を手放し、いざというときに消防車が入れる広さの道路になった。


思いはまちづくりにも向けられている。地域の若手有志らと市民団体「EKIKITA WORKS(エキキタワークス)」を結成、イベントなどを通じ、大火により離散した地域の絆を再び結ぶ活動にも取り組む。「地元の子どもたちにとっては復興後のまちが故郷。寂しい所だったと思ってほしくない」と力を込める。

もともと「老舗は常に新しい」の精神の下、孝夫さんに「粋でいなければ」と言い聞かされてきた。「糸魚川は地形に恵まれて、種類豊富なおいしい魚介類が取れる。今後はECサイトを充実させて、食からも糸魚川を発信していきたい」とほほえんだ。


青木資甫子さん
【プロフィール】
あおき・しほこ 新潟県糸魚川市出身。都内電機メーカー勤務を経てUターン、家業の老舗日本料理店へ。海の幸に恵まれた糸魚川の魅力を発信しながら、防災や地域コミュニティ活動にも取り組んでいる。