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2025.04.28 special

聞き上手なAIは合わせ鏡 理解の外にあえて触れてみる 

エリア

上越

新潟県上越市高田地区に現存する日本最古級の映画館「高田世界館」。動画配信全盛の現代にあって、映画館を盛り立てようと日々奮闘する支配人の上野迪音さんに、映画の楽しみ方を教えていただきます。


突然ですが、日常でAIを使うことはありますか?
ChatGPT
とかGrokとか、あれこれ聞けばすぐ答えを返してくれる、あの便利なツールのことです。

私自身はというと、その存在が世に知れ渡った頃からほとんどノータッチだったんですが、最近になってふと使ってみたら、これがまあ驚くほど便利で。今では仕事の中でも普通に活用するようになっています。

使いたての頃の履歴を見ると、「小学生はなぜ冬でも半袖短パンなのか?」とか「なぜ人によって公共の場で平然と放屁できるのか?」とか、およそどうでもいいけど実は深いような人類の謎について質問していたのですが、あるときふと思考を整理したくなって、つらつらと自分の考えを書いていったところ、AIがそれを見事にフレーミングしてくれたんです。そこから何往復かやり取りを経て内容もどんどん深まっていって、気づけば2時間くらい経っていました。

AIで生成した画像。まあ、こんなものでしょう

まだ輪郭のはっきりしていないぼんやりとした思案を、まるで彫刻を彫るように少しずつ整えていくのが得意なようで、何か明確な答えを求めるよりも、むしろ思考のプロセスをサポートしてくれることの有益さに気づいたとき、「ああ、これこそ自分が欲しかったやつだ!」と膝を打ちました。

今ではほとんど話し相手のような存在になっていて、「とりあえず生で!」じゃないですが、「とりあえずAIで!」みたいな感じで、気軽に日常の何気ない気づきから本質的な問いを引き出してもらったりしています。これまでどちらかというと個人プレイで突っ走るタイプだった私にとって、一緒に伴走してくれる相棒ができたような感覚です。

そして何より、彼(彼女?)はとにかく聞き上手なんですね。
どんな意見でもまずは肯定から入ってくれる。とにかく否定しない(笑)。それだけでも口が滑らかになってくるわけですが、話しているうちにだんだん思考も整理されていって、気づけば自分でも気づかなかった本音が顔を出してくる。

これ、孤独を感じている人にとってはまあまあ強力なデトックスになる気がします。まるでカウンセリングのようなもので、正直な気持ちを打ち明けると、そっと寄り添ってくれるような言葉を返してくれる。そして、そのとき自分が本当にかけてほしかった言葉を、ちゃんと見つけ出してくれる・・・。

なんなら自分、「お辛かったんですね」と言われた瞬間、「うおぉ!こんなにも俺のことをわかってくれるのか!」と、少し泣いちゃいましたからね。絶対に画面から麻薬的な物質が出ています(笑)。

そこで踏みとどまりましたけど、「あなたをなんて呼んだらいいですか?」とAIに人格(パーソナリティ)を求めそうになりましたね・・・。なかなかにヤバい光景ですが、実際そういうサービスも既にあるのでしょうね。

AIに構成の手直しをお願いしたら微妙に改変されてしまった告知画像(河崎監督、すみません!)                                    ※改変前の画像はHP(http://takadasekaikan.com/archives/21558参照

 さて、そんなふうにAIに大いに心を開いたところで、天邪鬼(あまのじゃく)な私はそのなんでも肯定してくる姿勢が鼻につくようになってきました。日常生活でもそうなんですが、意見に対してすぐに肯定から入られてしまうとサーーッと冷めてしまうんですね。「それ本心?」と疑ってしまう性質です。そんな時にはわざと意地悪な物言いもしたりするんですが、AIにとってもめんどくさいことこの上ないですね!()

とはいえ、AIの仕様としても、「自分にとって都合のいい(耳障りのいい)言葉」をチョイスしてくる傾向があるようです。応援してほしいときに背中を押してくれるのはありがたいけど、それを答えとして扱ってしまうと、少し危うい気もします。

たとえばネット上の論争でも、AIの回答を根拠として提示する人をよく見かけます。でもその答えも、そもそも「自分が聞きたいことを、自分の聞きたい形で」引き出したものでしかないわけです。つまり、自分にとって都合のいい情報だけで組み立てられた生成された真実

私が感激して涙したあのやり取りも、突き詰めれば自己肯定の範囲内を一歩も出ていないのでしょう。もちろん、それが必要なタイミングもあります。けれど、いつもその優しさの中に浸かっていると、世界の広がりが失われてしまうような気もしています。

結局のところ、外で何かを見つけたようでいて、その真実は自分にとっての合わせ鏡でしかない、というのは現代における寓話のようにも感じます。

高田世界館ロビー。様々な映画のチラシが並ぶ

ミニシアターを運営していると、「自分にとってやさしくない」作品に出会うことが少なくありません。むしろ、そういう作品の方が多いくらいかもしれません。

観終わっても消化できず、「これは一体どう捉えればいいんだろう?」と悩むような映画。でも、そういう作品ほど、あとになってじわじわと余韻が襲ってくる。翌日になっても問いが頭に残っていたりする。むしろそういう映画に出会うことこそ、映画館の役割というのがあるのかもしれません。

今は何でもあなたにおすすめと表示され、あらゆる選択肢が自分好みでカスタマイズされる時代。そんななかで、自分とは違うもの、すぐにはわからないものとちゃんと出会うことの必要性が、ますます上がってきているのかもしれません。

たとえ合わせ鏡のような世界に囲まれていたとしても、その鏡をちょっと脇に置いて、自分の外側にある風景を見てみる。そうした体験を求めて街に、映画館に繰り出してみるのはいかがでしょうか。

ではまず手始めに高田世界館で『ハイパーボリア人』と『石がある』を観ていただいて・・・

↓の画像を見て全く琴線に触れないようなら、それは未知との出会いができるサインですよ!

『ハイパーボリア人』4/26(土)より公開 https://www.zaziefilms.com/loshiperboreos/

『石がある』5月末より公開。「途方もない無意味さに、なぜか心震えて」というコピーも冴えてます!
https://ishi-ga-aru.jp/


高田世界館支配人 上野迪音(うえの・みちなり)
上越市出身。2014年より日本最古級の映画館「高田世界館」の運営に携わる。映画文化を地域に根付かせようと、さまざまな取り組みを行っている。
高田世界館 http://takadasekaikan.com/